
現在海外で生活をしている日本人は沢山いると思いますが、その理由やそこに至るまでの経緯は人それぞれですよね。
このページでは、私が単身日本を飛び出し、オーストラリアに来た理由を書きたいと思います。
よろしければ最後までお付き合いください。
私が単身海外へ出た理由
私は31歳の時に日本を飛び出し、ワーキングホリデーでオーストラリアにやって来ました。

海外はおろか、国内ですらも一人で旅行したことのなかった私が、単身海外へ出た理由、それはずばり、離婚をしたからです。
30歳で悲しみのどん底に落ちる
私は22歳の時にレストランを経営する実業家の男性とお付き合いを始め、27歳の時に彼と結婚しました。
私は彼の仕事をちょこちょこ手伝ってはいましたが、基本的には専業主婦として暮らしていました。
二人での生活を八年続けた後、私は彼に別れを切り出され、離婚することになりました。
しかし、当時の私は別れることなど到底考えていなかったので、只々気が動転するばかりでした。
今となっては、離婚の原因で思い当たる事はいくつもありますが、一番は私の精神的未熟さにあったのだと思っています。
その頃の私は、彼の気持ちや苦しみを理解する事が出来なかったのだと思います。
扶養家族の現実に気づく
正式に離婚する前に、私は彼と別居期間を一年持ちました。
私は専業主婦だったので、毎月彼から一か月分の生活費を渡してもらい、その中でやり繰りするという生活を送っていました。
別居期間中も、彼はそれまで通り生活費を渡してくれていました。
冷静に自分の置かれた状況を考えたとき、自分には仕事も、キャリアも、貯金も無い事に気づきました。

そして、今まで彼に養ってもらっていた事実を噛みしめるのでした。
別居して暫くが経ち、もう離婚しかないのだと悟った私は、離婚後の生活をぼんやりと考え始めました。
高校を卒業してからは、アパレルメーカーや雑貨店で販売員をしていましたが、これといった資格や学歴も無い三十路の私が、今後どの様に生活をしていったら良いのか…。
光が見えぬまま、不安と切なさで気持ちは一杯でしたが、とにかく何か始めなければと思い仕事探しを始める事にしました。
子供の頃の夢を思い出す
コーヒーは昔から大好きだったという理由で、私はコーヒーショップでアルバイトを始めました。
それからは仕事と家の往復の生活を送りました。
しかし、毎日一人で帰るのは彼と過ごした家。
テレビを見ていても、幸せそうな家族ばかりが目に付く。
この頃の私は突然溢れ出る涙をコントロールする事が出来ないほど、精神状態が不安定でした。
それでも、コーヒーショップでの仕事は楽しく、同僚やお客さんと関わりを持つ事で、その時間は笑顔でいられました。
それから、自宅で一人で過ごしながら自分と向き合い、私はこれからどう生きていけば良いのかと真剣に考え始めました。
そんな中、ふとインスタグラムを見ていた時、外国のカフェや街並み、インテリアなどの美しい画像が目に入ってきました。
その時、子供の頃に抱いていた夢を思い出したのです。

それが私の描いていた未来でした。
失うものは何も無い、一人になった今なら、チャレンジ出来るんじゃないか。
そう思った瞬間、私の心に一筋の光が差し込んだのです。
海外に行く事を決める
海外生活の夢を思い出してから、一気に気持ちはそこへ向いていました。
今まで日本での人生設計は何も浮かばなかったのに、海外に行く事を考えると、ああしたいこうしたいと、次々と第二の人生についての希望が浮かぶのです。

そして、海外へ行く事を決めました。
そこから、ネットでワーキングホリデー制度を知り、30歳である今しか無いという事で、ワーキングホリデービザ取得に向けて動き始めました。
行き先をオーストラリアに決める
ワーキングホリデービザを取ろうと決め、次はどこの国へ行くかを考えました。
始めはカナダへ行こうと思い調べていました。
しかし、ネットでとある留学エージェントと出会いました。
そのエージェントは、女性専門、そしてオーストラリア専門でした。
今まで、オーストラリアは全く候補にありませんでした。
しかし、そのウェブサイトを見てそのエージェントに興味が沸き、後日伺ったコンサルテーションでも、30歳の私のニーズにあったアドバイスをしてくれたので、このエージェントにサポートしてもらいたいと思いました。
そうなると行き先はオーストラリアしかない。

こんな具合でオーストラリアに行く事に決めたのでした。
離婚届を提出し、日本を飛び出す
ワーキングホリデーでオーストラリアへ行く。
道は決まりました。
それから、引き続きコーヒーショップで働きながらお金を貯め、空いた時間で英語の勉強を始めました。
その頃には、以前の様に泣いたり気持ちが沈み込む事もほとんど無くなっていました。
私は英語も話せなかったし、内向的な性格だったので、オーストラリアで生活出来るか不安だったのですが、当時の自分の生活状況よりは断然希望に溢れていました。
そして、31歳を迎える誕生日の二か月前に、無事にビザが交付されました。
その後、別居中だった夫と最後の話し合いをし、離婚届にサインをしました。
私は、彼に離婚届は私が出しに行くと言い、準備の整ったその紙を預かり別れました。
そして後日、市役所にて、幸せそうに婚姻届けを提出するカップルを横目に、一人離婚届を提出したのでした。
その瞬間、交際期間を含めた八年分の様々な思いがこみ上げましたが、それが、私にとっての自立への一歩になったのです。
それから数か月後、31歳の春、初めて一人で飛行機に乗り、オーストラリアのメルボルンに向かうことになったのです。

最後に
30歳でワーキングホリデーを決断し、一歩踏み出したことで、私の人生は劇的に変わりました。
海外生活は辛いことも沢山ありますが、今は自分の成長と可能性を日々感じながら生活しています。
日本にいた時よりも、生きていることをひしひしと感じます。
今日本で何かに悶々としていたり、苦しいなと感じている大人の皆様。
思い切って一度世界に飛び出してみると、あなたの人生が少し変わり始めるかも知れませんよ。

最後までご覧いただきありがとうございました。